SEVENTEENがいなかったら死んでいた

死にたいと思ったのは、たった1回だけ。秋葉原の駅で電車を見ていた。2012年の初夏だったと思う。その後、死にたいと思ったことはない。「生きられない!」と思うことは、数えきれないほどあるが。

 

月日は流れ、2019年の夏。死にたいとは思っていないが、存在の消滅を感じて怯えていた。消されそうだった。

 

私は、昔から空気が読めない。しかし、年を重ねれば重ねるほど居心地が悪いので、読むことにした。

ちなみに、この世のベストセラーはずっと「空気」です。

ロックンロールを聞いて生きてきたからそんなもんシカトできるぜと思っていたが、ロックなんかで太刀打ちできないくらい、「空気」は強固だ。

 

年を重ねた私は、空気をしっかり読んだ。私は読解力が優れているので、すぐに理解した。「あ、これ私、死んだ方がいいやつ!」と。ちなみにこの場合の「死」は、肉体ではなく精神です。肉体の死はわかりやすく動かなくなるので悲しまれるが、精神の死は誰も悲しまない。死んでいることすら気が付かれない。自動操縦モードになっているから、傍目にはわからないのだ。しかも、自分が死んでいることすら、当人が気が付いていないこともある。

 

もう、すべての物事が自分を蝕む方向へ舵を切っていた、あの2019年の夏。

SEVENTEENと出会ったのである。

(多分続く)