夏休み明け。「学校行かなくていいよ」の自分なりの応援を書いてみます
コロナウイルス陽性になってしまった。
熱は下がって快方に向かっているが、頭痛が時にひどい。そして、朦朧として手足に力が入らない。
1と7を見間違えるなどのミスが何度かあり、こういったことは今までなかったので、もしや後遺症として残るのだろうかと不安になる。
編集者の業務の主たるものは文章を読んでチェックすることなので、支障をきたしてしまう。
突如よぎる廃業への恐れ――。
こんな状況で私は、またちゃんと決まった時間に起きて決まった場所にいって、そこにいる人と円滑にコミュニケーションをとり、働けるのだろうか。
焦る。
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今日は8月31日だ。
9月1日は学校が始まるから、憂鬱な人がいっぱいいると思う。
不登校で学校に行けなかったので、何か言葉をかけたいと思って、書くことにした。
当事者だったが、どう声をかけたらいいのかはよくわからない。
おためごかしみたいなことしか書けずすみません。
不登校、私の場合は特に中学1年生。
夏休みの間ずっと9月になるのが嫌で、何もせず、父が買ってくる100円の麦チョコをほぼ毎日だらだら寝っ転がって食べていた記憶しかない。
そんななかで、父が「夏休みの思い出に」と京都旅行に数日連れていってくれた。
ただ、もう当時はセルフネグレクト状態だったから、あまりいい思い出ではない。
まず、おでかけにふさわしい服がなくて、二日目以降出先で買ってもらった覚えがある。
市内を縦横無尽に駆け巡るバスに乗ったが、満員の人波を焦ってうまくかきわけられず、父も弟も降り損ねさせ、ざんねんな気持ちになった覚えがある。
流しそうめんを体験した際、一人分がすごく少なくて、商業的な一人前の少なさを知って冷徹だなと思った覚えがある。
なぜ急に旅行先の話をしたかというと、学校から切り離された場所であるにも関わらず、旅行の素敵な思い出ではなく、どれも惨めだった当時の自分として記憶されていることをここに示したかったのだ。
とにかく、この年代の人にとっての「学校でうまくいかない」というのはつまり、「学校に行けない私は、なにもかもうまくいかない」なのだ。
(まあ、家と学校、どっちに問題があったかは今となってはよくわからないし、正直どっちもだと思う)
中1の自分は、人と話すときに「こんなこと言って面白いだろうか」「なんて反応したらいいのだろうか」「自分の話はどこまでしたらいいんだろう」「人の話はどこまで聞いたらいいんだろう」などとずっとずっと考えていた。寝る間際までずっとずっと考えていたのだ。
「一対一で話せてもグループになると団体戦になりどうしたらいいかわからない、話すタイミングと聞くタイミングがとにかく難しいのでお弁当のおかずをどのタイミングで口に放り込めばいいかもわからん。
取り急ぎ明日はAさんにこの話を振ってみよう、こんなふうに返してくるかな、さらにこう返せば面白いかも……まあ、この通りに話が進んだらだけど」
こうやって、ずっとずっと、ずっとずっと、考えていたのだ。
社会に出てみると、考えすぎが治ってしまった。
他に考えて処理せねばならないことが超大量にあった。
自分自身について考えを巡らせる余裕などない!
仕事だ仕事! 生産性だ!! 効率だ!!!
次々と飛んでくるボールをなんとか打ち返すことに終始して、私は、大人になった。
考えなくなった。
何か違和感や不快感を感じても、言語化できなくなった。
どんどん自分の本心がわからなくなった。
違和感や不快感を感じるのは「考えすぎ」が原因で、それは若さゆえのものだ、世の普通に乗っかればラクだなのだ、と思うようになった。
だから、
30歳までに結婚しよう!
女として生まれて男を好きであることを疑うなんてもってのほかだ。時間がもったいない!
子供を産んで育てるのは当然で、本当に子どもが欲しいか考えてみると大抵答えが出ないが、難しいことは考えるな。子どもを産め、産まなかったら後悔するに決まっている!
みたいになった。
しかし、これは本当にきつかった。
どうにもうまくいかないのだ……。
そりゃそうだ、だって私、筋金入りの不登校だもの……。
反逆者ですから。。
できないことはできない、「本当にそれでいいの?」と思うならばとことん考える。それでこそ、考えすぎの黒田(異名)でしょうが!
親や教師に中指立ててわかりやすく反抗するほどカッコつけではなかったものの、寝そべって動かず麦チョコだらだら食べてNARUTO読んで抵抗していた。だらだらして世の勝手なルールにのらない、かっこよい人間だったな、と、大人になった今、昔の自分に励まされている。
決まり切った時間に学校に行けなくて、なじめなくて、人と何を話せばいいかわからなかった昔の自分がまだ、私のなかにはいる。
今、同じような思いの学生さんがいるかはわからないし、正直、「学校なんて行かなくて大丈夫だよ!」と無責任には言えないのだが、拙いながらここに書いてきた通り、時を超えて、自分を救ってくれるはず。
うまく書けなくてごめんなさい。
うまく大人に擬態して会社員になったけど、コロナで弱気になって、会社ちゃんと行けるかなって、悩みは20年経っても変わらないんです。
学校行けないこの自分は、世の決まりに抵抗できる人材なんだなって、思ってみてください。
大人になって社会に飲み込まれそうになったときに、そんな今のイノセントなあなたが助けてくれるかもしれません。
自分なりの応援を書いたつもりですが、あんまり応援になってませんね。。まあ、「考えすぎ」なあなたにひとつ、今日の考えるネタを提供できればそれで良いなと思います。
考えすぎているあなたは、とっても素晴らしいです。